南洋館

今は、統合されて廃校になってしまった田並小学校。使われない鉄筋コンクリートの校舎は、月日とともに劣化していく一方である。田並小学校が木造校舎だった頃、校舎の片隅に南洋館という一角があり、そこは田並から海外へと出稼ぎに行った人々が持ち寄った様々なものが陳列された資料館であった。校舎が鉄筋コンクリートになってからも「新南洋館」として校舎の入り口に展示コーナーが設けてある。廃校になった今でも、誰も見られないままに埃をかぶっている。

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そんな旧田並小学校の「新南洋館」を見させていただいた。南の海から持ち帰った真珠貝含め様々な貝、ニューギニアあたりのお面や民芸品、ワニやトカゲの剥製などが、小さな展示コーナーに詰め込まれている。話によると、それでも多くの資料が離散してしまった残りだという。南洋館の資料を見て、昔の田並の子供達は遠い外国にどのような夢をはせたのだろうか?

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2 thoughts on “南洋館

  1. 井出 建

    言葉の標本箱に参加させて下さい。
    ”ナゾナゾです、次の文章は田並に縁の深い場所に掲げられていましたが、□の部分が年月を重ね読めなくなっています、漢字か仮名が書かれていたようです、なんと読めばよいか?」
    <ごあんない>
    「□□□」について
     私達 田並の先覚者達は明治十八年頃(西暦一八八五)、約九十
    年前より当時としては大変厳しい条件の中で大きな夢と□
    陸心と勇気を持って遠くオーストラリア□□□□ などの外国へ
    渡航しました。そして赤道直下の猛暑にもよく耐え言葉の遣
    いや□□の苦労を重ねながら□□□□活躍しました。
     その結果童話の「桃太郎物語」のように□産やお土産を沢山
    持って還って来ました。ここに展示している民具や産物はその
    人々が郷里の学校の児童の為に教員の参考資料として
    お土産に持ち帰り寄贈して下さった物であります。
     私達はこうした人々のご好意に深く感謝して貴重
    な資料をいつまでも大切にしたいと感謝いたしております。

     平成四年三月       (「新東洋館」□□書司)
    「どうぞ、おしてください!」

  2. tacota Post author

    お久しぶりです! 芸術の秋でアート関係が忙しく、劇場も今年は紀の国トレイナートと森のちからというイベントに絡んでいます。工事はまだまだ半ば! でも、イベントのために劇場内をきれいにしたり、簡易カフェスペースを作ったり、作品が置かれたりと、劇場の完成形がちらほらと垣間見られて励みになります。

    さて、なぞなぞ答えです!

    「南洋館」について
     私達、田並の先覚者達は、明治十八年頃(西暦一八八五、約百七
    年前)より、当時としては大変厳しい条件の中で、大きな夢と冒
    険心と勇気を持って、遠くオーストラリアやニューギニアなどの外国へ
    渡航しました。そして、赤道直下の猛暑にもよく耐え、言葉の遣
    いや幾多の苦労を重ねながら一生懸命に活躍しました。
     その結果、童話の「桃太郎物語」のように、財産やお土産を沢山
    持って帰って来ました。ここに展示している民具や産物は、その
    人々が郷里の学校の児童や生徒の為に「教員の参考資料」として
    お土産に持ち帰り、寄贈して下さった物であります。
     私達は、こうした人々の御厚意に深く感謝し、この貴重
    な資料をいつまでも大切にしたいと念願いたしております。

     平成四年五月       (「新東洋館」設立者一同)

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