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クラウドファンディング第二弾!

クラウドファンディング第二弾がスタートしました。

今回は、再生した劇場で古い邦画を上映しようというプロジェクトです。

田並劇場が現役だった時代は、1950年代から〜1970年代頃、日本は高度経済成長期真っ盛り、日本の映画産業も成熟してきた頃です。同時にテクノロジーも著しく発達し、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器として、各家庭に備わってきたのもその時代です。特にテレビは、東京オリンピック、皇太子の結婚、アポロの月着陸、大阪万博などビックイベントの度にシェアを伸ばし、その裏で、成熟した映画産業が傾き始めます。

 

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当時、映画をみる環境は地方においても充実していました。劇場や映画館はじめ公共の会館などで定期的に映画の上映がなされていて、一本のフィルムを各村にある会館などで持ち回して上映していて、スケジュールが隣町とかぶっていたりすると、上映が終わったフィルムの巻から、それ急げっと自転車で運んでいたという話を、田並劇場に顔を出してくれた地元の方から聞いたりもしました。何かトラブルがあったりすると、映画の途中でフィルム待ちをしていたとか。何ともおおらかな時代でもある。

 

そんな時代、田並劇場も村の文化的娯楽の中心として機能していた。地元の方から聞く劇場の思い出は、こんな映画を見たとか、あんな映画を見たとか、映画に関する思い出が圧倒的に多い。そして、劇場から出てきたその当時のポスターを見せると、みなさん役者さんの名前とかよく知っていること!

 

劇場に思い出がある人が、まだ多くいる内に、劇場で当時の映画を上映したいという思いは、そんな思い出話を聞くたびに募っていました。

 

劇場を始動させるために、一度時間を巻き戻して劇場が現役だった当時の雰囲気を蘇らせるところから始める、そこから劇場をどのような方向性で運営していくのかを考える。今回のプロジェクトは、そんな気持ちから企画しました。

 

みなさんどうぞご支援お願いしたします!

https://readyfor.jp/projects/tanami-cinema

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碍子(ガイシ)引き工事

田並劇場の屋根工事が終わり、ようやくディテール部分の工事ができるようになった。で、始めたのが電気工事。もともとあった劇場内の配線は、何がどうなっているのか分からないので、ほぼ一から配線し直しである。でも、それは好きにレイアウトできる自由があるとも言える。

第2種電気工事士の資格を得るために勉強した知識を頼りに、配線図を描き起こし、実際作業を進めてみる。が、いつものことだが現場合わせというか、なかなか配線図通りにはいかないものだ。

そんなに大げさな設備は入れないので、基本的に工事はコンセントと照明である。コンセントは、ここにあったら便利、ここには必要と配置していく。照明は、劇場のレトロな雰囲気を生かすためになるべく碍子(ガイシ)引き工事で設置していく。

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碍子(ガイシ)引き工事とは、古い家などではよく見る白い陶器の円柱状のもの(碍子)に電線を渡していく配線方法である。昭和30年代頃までは一般的な工事方法であったので、劇場建築時は当然碍子引き工事で施行されている。

実際、劇場の天井梁や桁に碍子引きの跡が残っている。碍子引きからFケーブル(今の一般的な配線ケーブル)に接続されていたり、途中で切断されていたりとズタズタになっているが、丁寧に碍子跡を辿っていくと、この配線が舞台まで行って、ここ分岐してとかオリジナルの配線が垣間見えてくる。

オリジナルのその雰囲気を再現したいと、残っている碍子から古いケーブルを取り除き、新たにIVケーブル(ビニル絶縁電線)で引き直していく。場所によっては、新たに碍子を取り付け新設していく。

そんな作業、なかなか手間がかかるのだが、作業していてとても楽しい。

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屋根終わった!

去年の9月に劇場の屋根を全面改修し始めて、ようやくこの4月に終わることができた。半年以上かかった!

正面玄関庇部分から始め、庇と続きになっているトイレ部分、舞台控え屋根、母屋屋根と面積の小さい部分から大きい部分に移っていった。
なるべく瓦を下に降ろしたくないので、大体半分ずつ移動させながら、土をどけたり、野地板を修理したり、ルーフィングを張ったり、断熱材、桟などを取り付け、瓦に一枚ずつ穴開けてステンレスビスで固定していく。瓦総数6000枚あまり。

当たり前のように日本の風景として馴染んでいる瓦屋根。当然のごとく屋根の上に瓦が載っているが、どの屋根も屋根職人が一枚一枚コツコツと並べたものなのである。
屋根をなんとかしなければいけないなと劇場改修当時から思っていたが、業者に頼むだけの財力もなく、屋根を外から内から眺めては、雨漏りと、風化した屋根土が降ってくるのをなんとかする方法を考え考え、迷い迷って三年間思い悩んでいたが、そう、結局業者に頼んでも誰かが一枚一枚コツコツと瓦を葺いていくのだ。だったら自分でコツコツやるしかないと。

図書館で日本の木造建築や瓦に関する本を借りたり、ネットで瓦に関することを調べたりと情報収集する中で、日本の瓦は伝統的のようであり、また様々な工夫や安全基準などをもとに進化している分野であるということを知る。
その中で、様々な台風や震災などの経験から、科学技術的データに基づいた瓦屋根の設計・施工の方法を全日本瓦工事業連盟主導でまとめた「ガイドライン工法」というものがあり、ネット上で公開されてもいる。劇場屋根も基本的にはガイドライン工法をもとにして施工している。

屋根工事が始まると、劇場屋根のあまりにもの存在感に圧倒されつつ、来る日も来る日も手順のイメトレをし、作業でヘトヘトになり、町をゆけばやたらと瓦屋根ばかりが気になるという屋根クレイジーな状態である。古くてボロボロの屋根ほど気になってしょうがない。おかげで今年の猟期は集中して鹿やイノシシが獲れなかったほどである。

寒くなり始める頃から開始し、暑くなる前にはなんとか決着をつけようと来る日も来る日もコツコツと作業が続き、時には人に手伝ってもらい、時には一体俺は何をやっているのだろうと客観的になったりとしつつ、なんとかなりました。
どの作業も一様に大変で、どの作業が一番大変だったのか言えないような感じなのだが、なんだか遠いところの旅から帰ってきたような気分がしている。

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田並劇場_映像

映像作家の松尾博司さんが素敵な映像を撮ってくれました。工事中で雑然とした劇場内が、なんだかそれっぽい空間になっている!

松尾博司さんには2016年春にも撮ってもらっているが、見比べるとそれなりに工事が進捗していて感慨深い。

田並の秋祭り

彼岸花が咲き始め、秋の気配が感じられるようになった9月24日、田並天満宮の秋祭りが開催された。この辺り一帯では一番早い秋祭りであり、田並の祭りを機に各地で祭囃子が聞こえるようになる。

田並天満宮は菅原道真を主神とし、田並の祭りも道真に因むものとなっている。

6本の大幟と神輿、笛太鼓が天満宮から田並の海まで練り歩く。練り歩くと言っても、天満宮から海岸までの約1.5キロをお酒を飲みながらのんびりと行くわけである。

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この行列は、道真の太宰府左遷をなぞったものとされ、旅装束16人の担ぎ手にかつがれた御輿が旅に出るさいに、道真を募る住民たちが大幟を立てて行列を阻止するという図である。かつては、御輿も二台出て、道中大幟と押しつ戻しつつ海岸に向かったそうであるが、今は神輿も一台で、いろいろと省略化されつつも存続しているといったところだ。

田並の祭りのクライマックスは、海岸までたどり着いた神輿がそのまま海に入り、海から上陸しようとする神輿衆を大幟衆が押し合い戻され、飛沫を上げてなんとか上陸するといったシーンである。

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この頃になると、田並の住民などギャラリーも集まり、かつての賑やかさを彷彿とさせる。

神輿が海から上がると、海岸で獅子舞が披露され、祭りで火照った田並の空に涼しげな笛太鼓が鳴り響き、祭りは幕を閉じる。

田並も、他の田舎の集落と同じように人口減で昔の賑わいを失われつつある。そんな中で祭りを存続しようとする地元の人たちが、年寄り若者を含め、形式の簡略化を含め様々な工夫をしながらも存続しようと努力している。いつまでも、祭りの笛太鼓が鳴り響く元気な集落でいて欲しいものである。