田並について

田並は黒潮が洗う紀伊半島の先端、本州最南端の町、和歌山県東牟婁郡串本町。串本の町から東に10キロほどのところにある人口300人ほどの小さな町です。

ここの辺りは、温暖な気候で、冬は滅多に雪が降ることもなく、夏は和歌山市内に比べて2〜3度は涼しいなど、冬暖かく夏は涼しい住みやすい土地です。しかし、山すぐ海という南紀独特の地形のために平野部が少なく、昔からこの辺りの人々は、炭焼きや漁師など山や海に生活の糧を求めてきました。

この辺りの海には珊瑚が豊富で、珊瑚群落の最北端でもあります。その珊瑚を利用し、珊瑚を焼いて石灰を製造するようなことが産業として江戸から大正頃にかけては、盛んに行われていたようです。串本町、大島と潮岬に残る日本最古の洋式灯台である樫野崎灯台と潮岬灯台にも田並産の石灰が使用されています。
田並の海岸近く、今でも石灰を焼く灰釜の跡が残っています。また灰地区という名も残っています。

明治から昭和にかけて、土地、田畑が狭く大きな産業もない南紀の人々は海外へと出稼ぎに行くようになります。オーストラリア、アメリカ、ハワイなどに出稼ぎに行き、真珠貝を獲るダイバーとして、または漁師や庭師として海外で働きます。公式に出稼ぎに行ったり、または密航して渡航したり、その陰には多くの悲劇もあります。
海外からの送金や帰郷する人、そして海外から送られてくる西洋のものが田並にあふれ、周りからアメリカ村と呼ばれ栄えていたのはその頃です。町にはコーヒーの香りが漂いパン屋などもあったと聞きます。クリスマスには仕送りの荷物が満載された貨車が到着した話など、当時の賑わいをイメージさせます。
田並の人々は海外での活躍される方も多く、オーストラリアで潜水服の改良をし真珠貝採取に大いに貢献した村上安吉、またハワイでは、地元の漁法を改良し日本に逆輸入の形で伝えた、ここ田並が発祥の地であるケンケンカツオ漁など、村上安吉に関しては、今でもオーストラリアのブルームにムラカミロードという名の道があるほどです。

田並劇場は、まだ田並が賑わっていた昭和25年頃建築されました。海外から帰郷する人も多く、海外のさまざまな事情なども見てきた人々は教育の大切さを知り、教育に対して熱心だったとも聞きます。そのおかげで、田並出身者の中では今でも各界のトップで活躍されている方がたくさんいます。そんな教育・文化に対する思いが田並劇場建設にも一役買っているのではとも考えられます。

今では、すっかり過疎化が進む、なんの変哲も無いのどかな田舎の町ですが、様々な歴史が田並にはあり、その歴史の中のシンボル的な建築物に田並劇場はなれるのではとも考えています。

 

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