田並劇場

田並劇場について

田並劇場は串本町田並・田並駅の傍らに建っている建造物です。再生プロジェクトを始める前、建物全体を蔦が絡み、廃墟となって十数年の月日が経っていました。この田並劇場は、劇場として昭和20年代に田並の有志によって建てられ、娯楽の少なかった当時に、映画や演劇、町内会や学校などの出し物などが開催され、多くの人々に娯楽を提供してきました。今でも、年配の方にお話を聞くと、田並劇場で映画や演劇を見たという思い出を語ってくれます。

その後、国道42号工事の時の飯場、農業資材置き場兼住宅などと遍歴し、やがて空き家となり、人の手が入らぬまま放置されていました。

田並劇場が建築された背景を探っていくと、田並の近代史と密接に関わっていることがわかります。
明治、大正から昭和40年頃にかけて、あまり産業を持たなかったこの辺りの村々では、多くの人々が海外へ渡航し、オーストラリアの木曜島で真珠貝を採る潜水夫として活躍したり、ハワイやアメリカ大陸にまで渡って移住し、さまざまな仕事をしていました。彼らのもたらす富と文化で、田並の町は栄えたといいます。田並の人々は堅実な人が多いのか、海外から送られて来る資産を管理する独自の銀行を設け、将来を見越して子供の教育にも力を入れていた様です。
まだ日本に外国からの文化があまり入って来ていない頃に、田並の町には珈琲やパンの香りが漂い、教会が建てられ、周囲からはアメリカ村とも呼ばれていたそうです。田並の町中を散策すると、何となく洋風な雰囲気を残す建物も僅かに残り、かつての様子をイメージすることが出来ます。田並劇場もそんな田並が華やかであった時代に建てられた建物で、郵便局跡や教会と並ぶ、田並近代史を象徴する貴重な建造物とも言えます。

田並劇場は昭和40年頃まで劇場として機能し、やがてテレビの普及や人口流出の影響か、昭和40年頃には劇場として使われなくなります。その後、国道拡大の飯場や工務店事務所などを経て、現在の所有者が購入し農業倉庫兼住宅として使用されます。その所有者の方が、田並を離れるとともに田並劇場は空き家となり、十数年の月日が経ち、今では廃墟然とし、周囲から役場に何とかしてくれと相談がいくような状態でもありました。

DSC_5860再生プロジェクト前の田並劇場

Scan田並劇場当時の写真