母、吉村智江が、2024年9月30日、まるで父の後を追うように静かに旅立ちました(享年87歳)。
病気や何度かの手術、ケガを乗り越え、明るく太陽のように生きた人でした。
大阪にきて11年、一度も和歌山に帰りたいと言ったことがなかったのに、亡くなる数日前にどこか行きたいところある?とたずねると、はじめて「朝来」と答えました。最後に和歌山でのことを想っていたのかもしれません。 父とは、この20年、いつも一緒でした。今は父とともに田並劇場のことも見守ってくれていることと思います。
生前に賜りましたご厚情に心より感謝申し上げます。 どうもありがとうございました。
いつも田並劇場をご利用頂いています皆様に心より感謝いたします。
また、林さんご夫妻はじめ、多くの方々のご支援により、田並劇場が再生され、今にいたっていますこと、皆様のご厚情に心より御礼申し上げます。
林さんご夫妻から田並劇場を使わせてほしいと依頼されたのは、2014年のことだったかと思います。折しも、その前年両親が交通事故をきっかけに弱ってしまい、大阪への転居を考えていた頃でした。田並劇場については、2003年に父が心筋梗塞を患ってからそのままになっており、今後どうするかを考えていたところでもありました。実は以前から両親ともいずれは何か地域の皆様のために使って頂けたらという願いをもっていましたので、林さん達の申し出は願ってもないことだったのです。
今では田並劇場を映画上映やコンサート、展示会等など、多様なイベントに使って頂いておりますこと、本当に嬉しく思っております。
両親ともまだ元気な時に、一度再生された田並劇場へ足を運んだことがありましたが、その後はホームページや林さんご夫妻からのお手紙により近況を時々知らせて頂きながら、大阪より見守らせて頂いてきました。
さて、田並劇場が今後も地域の皆様に愛されますよう願い続けていた父、吉村隆夫ですが、昨年末、享年95歳にて、永眠致しました。
父は、亡くなる当日まで意識があったのですが、ちょうど直前に、林さんご夫妻からお手紙を頂き、私が読み上げますと、父も田並からの便りに、うんうんとうなずきながら嬉しそうにきいておりました。田並という地に、父は青年期からご縁を頂き、父にとっては第二の故郷であったことと思います。
皆様には、生前ご厚誼頂きましたこと、心より御礼申し上げます。
この後も、田並劇場の管理につきましては、林さんご夫妻にお願いをしております。
田並劇場が、地域のコミュニケーションの場として、文化交流の場として、引き続き多くの皆様にご利用頂けますことが、父の願いであり、私達家族の願いです。
今後とも田並劇場をどうぞよろしくお願い申し上げます。
吉村真理子
①2018年5月、再生された田並劇場にて
②2023年元旦の両親
③2023年10月、入院直前の父
10月11日に一時危篤となり、医師からもう一週間もたないと言われましたが、持ち直し、その後自宅に帰ってきて約2か月家族とともに過ごすことができました。この間もう食事はほとんどとることはできませんでしたが、痛みをうったえることもなく、最後まで強い生命力をみせてくれました。